記事【それは声なのか音なのか】
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【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる書籍「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」を Amazonで見てみる
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こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。
今日は「それは声なのか音なのか」というテーマで短くお話ししたいと思います。
あなたは、「声」という言葉と、「音」という言葉を使い分けていますか?例えば、「声」は、泣き「声」とか、笑い「声」、虫の鳴く「声」、なんて使い方をしますね。生きているものが音を出す時、「声」という表現を使ったりするんですね。
一方で、「音」は、操作「音」とか、騒「音」などがあります。つまり、生きていないものが音を出す時、「音」といった表現を使ったりします。
こんな風に一般的には理解できますが、ある時外国の友人から「日本語では銃の音をなんで『銃声』って言うんだ?」って聞かれたことがありました。銃は生き物でもないのに、なぜその音を「声」と表現するのか。みなさん、わかりますか?結局のところ、この問題は誰にもわからないんですね。
でも、「声」と聞くと、そこには何か感情があったり、躍動感を感じます。一方で、「音」というと何だか無機質な印象を受けるのは、僕だけではないと思います。「銃声」というと、そこには何かしらの人の気配を感じますね。そんなことが関係しているのかもしれません。
では、子どもの口から発生られる音を、あなたなら「声」あるいは「音」のどちらで表現しますか?例えば、笑い「声」なんて表現しますよね。そんなこと、当たり前じゃないかと思うかもしれません。
でも、世の中には子どもの笑い声を「騒音」と表現する人たちがいます。公園で楽しそうに遊びながら発している子どもたちの声は、「笑い声」なのでしょうか?それとも、「騒音」なのでしょうか?
もしもそれが「騒音」と言うのであれば、生きることがどういうことなのかを改めて考えてもらいたいと思います。子どもたちが子どもの時期に笑えるということは、貴重な体験なんです。「子どもの声は騒音」と表現する人も、子どもの頃にはその騒音を出していたことでしょう。子どもの笑い声が、昔は許されて、今は許されない。そんな不条理を僕は理解できません。
今日は「それは声なのか音なのか」というテーマでお話ししました。
だいじょうぶ。
まあ、なんとかなりますよ。
湯浅正太(ゆあさしょうた)
PROFILE
2007年 3月 高知大学医学部 卒業。小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。
『みんなとおなじくできないよ』
障がいのある「おとうと」がいる小学生の「ボク」。おとうとのことを好きだけど、ちょっと恥ずかしく、心配にも感じている。複雑な感情と懸命に向き合って「ボク」がたどり着いた答えとは?「きょうだい児」ならではの悩みや不安、孤独な気持ちが当事者の視点から描かれた絵本。湯浅正太著/1760 円(日本図書センター)
『みんなとおなじくできないよ』
診察する, 治療する, 命と向き合う, …医師として働くとはどういうことか, 患者さんにどう接するか, “正解”はなくとも「考えて答えを出していかねばならない」倫理的なテーマについて医学生/研修医に向けて解説。小児科医であり絵本作家でもある著者が, 医療現場のエピソードに沿った「物語」を提供し, 読者に考えてもらいながら倫理観を育んでいく。「明日からの診療に役立つ一言」も記載し, 躓いたとき, 迷ったときに心の支えとなる書籍。湯浅正太著/2420 円(メジカルビュー社)
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