記事【常識を疑えば事態は変わる】
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【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる書籍「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」を Amazonで見てみる
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こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。
Voicyの放送に対してコメントをくださって、どうもありがとうございます。一つひとつのコメントにお答えはできていませんが、どのコメントにも目を通していますので、遠慮なくコメントをいただければと思います。
今日は「常識を疑えば事態は変わる」というテーマでお話ししたいと思います。
あなたは、何が常識で、何が非常識か、その判断をするのに十分な能力があると思いますか?あるいは、「私には常識がある」と自信を持って言えますか?そのことを今日は考えてみたいと思います。
例えば、僕は医師として色々な薬を処方しています。世の中には、感染症に対する抗菌薬、アレルギーに対する抗アレルギー薬、てんかんという病気に対する抗てんかん薬など、本当に様々な薬があります。それらの中から適切だと思う薬を選んで、患者さんに処方させてもらっています。
そんな僕が時々患者さんからお願いされることがあります。それは、「強い抗菌薬をください」「アレルギーに対して効く強い薬をください」「てんかんを抑える強い薬をください」ということです。つまり、病気を治す力が強い薬をもらいたい、そういう相談を受けるということです。
世の中では「薬には必ず、弱いもの、強いもの、という区別があるもの」という認識があるようです。でも、実際にはそうとも限りません。もちろん効果が強い薬・弱い薬という分類のものもありますが、全ての薬がそうというわけではなくて、「患者さんの体質や治療対象となる病気/症状に合うか、合わないか」だけであることが少なくありません。
例えば、「この感染症ではこの細菌が悪さをするから、その細菌を退治するためにこの抗菌薬を使用する」、それが正しい理解です。菌を倒す力が強い/弱いというよりも、その細菌をターゲットにできる抗菌薬かどうか、ということなのです。
アレルギーに対する抗アレルギー薬も同じです。その人その人の体質によって、薬の効果があるかどうかは微妙に変わってきます。Aという抗アレルギー薬があなたには合っていても、僕には合っていないかもしれせん。合うか、合わないか、なんです。
世の中には、脳に異常な電気信号が出て症状を起こす病気として「てんかん」があります。患者さんの中には、手足をビクンビクンと動かすけいれんという症状を持つてんかんの患者さんがいます。そのてんかん発作を抑えるために抗てんかん薬がありますが、この抗てんかん薬も強い・弱いがあるわけではなく、その症状を抑える作用を有しているか否かだけなんです。
医学のことを学べば学ぶほど、何にでも効く魔法のような薬はないことを再認識するようになります。そして、どの薬が合うのか、薬の量はどのくらいがちょうどいいのか、その選択にこそちょっとした医師のセンスがあるものだと気づきます。
それは、薬を「強い・弱い」だけで捉えていた人には見えない世界なんです。薬を「強い・弱い」ではなく、「合う・合わない」と捉えることで治療調整がうまくいく。そういった現実があります。
つまり、「強い・弱い」という「常識」だけでみていると治療がうまくいかないけれど、その「常識」を「合う・合わない」という視点に変えることで治療が成功する。そういった現象が、この世の中にはたくさんあります。
しかも、そこにはしっかりとした知識・根拠があるものです。こういう状況ではこの薬が適切。そういった根拠に基づいた選択ができる人こそ、センスがあると言えるのかもしれません。逆にそういった根拠がなく、ひたすら自分の「常識」を疑わずに突っ走っている判断には危険がつきものです。
例えば、今の日本社会を見てみましょう。
僕は教育はその国の根幹を成すものと思っています。つまり、その国の教育によって、その国の将来が決まるといっても過言ではないということです。そう捉えながら、この半世紀におこなわれてきた教育が生んだ現在という日本社会を考えたいと思います。
今の日本社会には確かに世界に誇れる「おもてなし」「協調性」、そういった特徴があります。これまでの日本の教育のすべてを否定するわけではないのですが、一方で、今の日本が国民の希望や心の豊かさで溢れているかというと、そうではないでしょう。今社会で働き活躍する人たちの中には「子ども時代に信じていた社会とは違う社会に向かっているぞ」なんて感じている人は少なくないはずです。
もしも今の社会がこれまで目指していた社会と違うのであれば、今一度これまでの教育を見直すべき。そう思います。つまり、これまで「常識」と考えてきた思考を一度疑って、行動を改めてみるということが必要な時代と思います。
それじゃあ、もう一つ別の例で「常識」を疑うことを考えたいと思います。
例えば、不登校の子どもを学校に通わせようとすることです。学校への登校を渋る子どもに登校を促すことを「登校刺激」なんて言ったります。親御さんの中には、「学校に行くこと」を「常識」と捉えるばかりに、ひたすら子どもに登校刺激をしようとする親御さんがいらっしゃいます。あるいは、教師の方々の中にも登校刺激を積極的に行う方がいらっしゃいます。
でも、その登校刺激をずっと続けて、問題が解決するかというと、現実には解決していない場合が少なくありません。そんな時こそ、「常識を疑う」ということが大切です。つまり、今紹介したようなケースでは、一旦「学校に登校する」という「常識」を捨ててみることが大切だったりします。
では、どんなことをするのか。それは、学校に行くのではなく、学校以外のどこでもいいから1日に1回外に出るということにシフトする。そうやって親自身の「常識」を覆しながら生きてみると、状況は変わるものです。
実際に、お子さんに学校に行かせようとする登校刺激をやめて、一旦学校以外の外に行くことにシフトしてみると、1年後新しい学年に上がるタイミングで学校に行けるようになってたりします。面白いですよね。そういうことは全然珍しくないんです。そんな風に「学校へ行く」という「常識」を一旦見直してみると、いつの間にか当初目指していた「学校へ行く」という目標を達成できるということです。
僕は小児科医としてそんな子どもたちを多く見てきているから、「登校させようとしなくて大丈夫ですよ。でも代わりに1日に1回は外へ出るようにしてくださいね」なんて、さらりと言ってしまいます。「遠回りなように見えて、それが一番の近道」だったりします。そんなものです。
そんなコメントをすると、「えっ!」なんて驚かれる親御さんもいました。でも中には、ホッと安心される親御さんもいました。そんな、ホッと安心した表情を浮かべる親御さんをみると、親御さん自身がお子さんに登校刺激をしながらも、「コレ(登校刺激)が最良の方法ではない」ということに薄々気がついていたんだろうなと思うんですね。
このように「常識を外す」ということが問題解決の上でとても大切なポイントです。
でも、これは考えてみれば当たり前です。だって、ある「常識」をベースに生活し支障が出ているのだから、その「常識」が実は誤っているということが少なくないんですね。「常識」は実は「常識」じゃなかった。そんなことは珍しくありません。
だからこそ、「常識」を疑うことはとても大切なんです。
でも、「これまでの『常識』を見直す、あるいは変えるなんて、なかなか無理ですよ〜」なんて大人の方がいるかもしれません。本当ですか?そうでしょうか?
だって、大人って、とても面白い、身勝手な生き物なんです。自分の都合に合わせて「常識」を改良してしまうことも難なくできてしまう、とても器用な生き物なんです。もちろんこれには皮肉も込めていますが、「常識」への意識や行動は変えられるものなんです。
例えば、信号待ちです。赤信号は待つという目印。青信号は道路を渡っていいという目印。子どもの頃にそう教わってきたと思います。
でも、交差点を見てみると、その「常識」に従っている大人って、どのくらいいるんでしょうか。
信号待ちの人を観察すると、信号待ちができている大人と、信号待ちができている子どもを比べてみると、圧倒的に子どもの方が信号待ちをできています。信号に対する「常識」を守らない大人って、意外と多いんですよ。
大人は学校でも勉強をして、社会人にもなって、子どもより何でもできると思ったら大間違いです。信号待ちをできるのは、明らかに子どもたちの方なんです。信号無視をするのは、多くの場合大人です。
ですから、「常識」って、自分の意識次第で変えられるんです。「常識」を疑うことで改善する子どもの課題って、いっぱいあるんです。
最後に例を挙げるとしたら、子どもを叱るということです。子どもたちが悪態をついた時、親はそれを叱るかもしれません。「子どもが悪い行動をとっていたら、子どもを叱ることでその行動は直る」、それが「常識」と捉えていれば、子どもを叱ることが多い生活を送るでしょう。
でも、その「常識」を見直して、「子どもの悪態の根源は親の行動」だから親自身が自分の行動を自省する。そうやって今までの「常識」を疑うことで、子どもの悪態も減り、子どもを叱る頻度も減る可能性が大いにあります。
今向き合っている課題は、今の「常識」を変えることで解決する。そんなことがゴロゴロ転がっているものです。
今日は「常識を疑えば事態は変わる」というテーマでお話ししました。
だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。
湯浅正太(ゆあさしょうた)
PROFILE
2007年 3月 高知大学医学部 卒業。小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。
『みんなとおなじくできないよ』
障がいのある「おとうと」がいる小学生の「ボク」。おとうとのことを好きだけど、ちょっと恥ずかしく、心配にも感じている。複雑な感情と懸命に向き合って「ボク」がたどり着いた答えとは?「きょうだい児」ならではの悩みや不安、孤独な気持ちが当事者の視点から描かれた絵本。湯浅正太著/1760 円(日本図書センター)
『みんなとおなじくできないよ』
診察する, 治療する, 命と向き合う, …医師として働くとはどういうことか, 患者さんにどう接するか, “正解”はなくとも「考えて答えを出していかねばならない」倫理的なテーマについて医学生/研修医に向けて解説。小児科医であり絵本作家でもある著者が, 医療現場のエピソードに沿った「物語」を提供し, 読者に考えてもらいながら倫理観を育んでいく。「明日からの診療に役立つ一言」も記載し, 躓いたとき, 迷ったときに心の支えとなる書籍。湯浅正太著/2420 円(メジカルビュー社)
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