小児科医・作家
一般社団法人Yukuri-te代表理事
湯浅正太
子どもの「生きる」を考える

神回という言葉から子どもの成長を考える

2022/05/03
#神回という言葉から子どもの成長を考える #私の神回 #子育て #小児科医 #湯浅正太

記事【神回という言葉から子どもの成長を考える】

こんにちは。絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心に関わる物事を気ままに発信しています。ですから、紅茶でも飲みながら、ゆる〜い気持ちで聴いてもらえればと思っています。

あなたは、ゴールデンウィークをどんな風に過ごしていますか?天気にも恵まれて、どこかに家族でドライブに行っている方も多いかもしれません。新しい学年が始まって4月に頑張った子どもたちには、ゴールデンウィークを存分に楽しんでもらいたいと思います。ゆっくりするのでもいいでしょうし、その子らしい休日を過ごしてもらえたら嬉しいです。

今日は、神回という言葉から子どもの成長を考える、というテーマでお話ししたいと思います。

このブログ記事の内容は、Voicyでも配信しています。

【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる

つながる力にようやく価値を感じる大人の世界

まずはコメントをご紹介したいと思います。ラジオネームみほさんです。

「いつもありがとうございます。私の母は子どもの私が何かに挑戦しようとすると『お母さんは心配。やめた方がいい』と止められることが多かったです。そして私が失敗すると『ほら言うことを聞かないから』と。挑戦できなかった不満を母に訴えると『全部、お母さんが悪いのね。そう、お母さんのせい』と悲しそうに言うのです。

いつからか母を困らせてはいけないと、母が心配しない範囲でしか行動しなくなりました。大人になっても、母の『心配なの』という言葉に縛られていました。母にとって心配することは愛情表現だったのかもしれません。私は、心配される度に自分は頼りなく情けない人間と思うようになりました。結婚し子どもが生まれ、自分は子どもの挑戦する気持ちをくじかない子育てをしようと決め意識してやってきました。

しかし、長女の不登校をきっかけに、また自分の子どもの頃の親との関わりを思い出しました。母の『心配なの』という言葉が『愛しているよ』だったら、私の人生は相当違っていただろうと思います。湯浅先生のvoicyを聴きながら、心のパズルのピースを一つずつ埋めていっている感じがします。」

みほさん、どうもありがとうございます。心のパズルのピースを埋めていく、子どもの心を感じる、親の心を感じるとは、まさにそんな感じですね。親と子どもの心のカラクリを理解しながら子育てをすることで、子どもの行動の原因が見えてくる。すると、自分の幼少期の行動の原因も見えてくるものです。

「あの頃の親子の関わり方で、こういう自分の行動がつくり出されたのか」ということですね。子育てをすることで、自分の歴史のカラクリが明らかになります。そういうものが見えてくると、様々な人の人生のカラクリが理解できるようになります。例えばこの作家は、幼少期のこんな体験があったからこそ、こんな人生を歩んだのだ。そんなことを理解するようになります。

みほさんの、「母の『心配なの』という言葉が『愛しているよ』だったら、私の人生は相当違っていただろうと思います」というコメントについて、少し考えてみたいと思います。確かに子どもへの言葉がけ一つで、その子どもの行動は変わります。それは、子どもだけではありません。大人もそうですよね。つまり、相手へのつながり方次第で、相手の行動は変わる、ということです。

そんなことを理解するからこそ、今の世の中のおかしな現象に気づきます。例えば、今では社会人になると、会社で「人との接し方」のトレーニングがあったりします。病院でも、そうです。僕も医師になってから、「自分が接する相手には、こんな風に接したらいい」「部下には、こんな接し方がいい」「患者さんには、こんな風に接するとうまくいく」。そんなコミュニケーションの練習の機会があります。

そんなコミュニケーションの方法、つまり「人とのつながり方」を、企業がお金を払って大人である社員に学ばせるわけです。大人になって、人とつながることの価値をやっと理解できるようになる、というわけです。僕の目には、この状況がとても奇妙に映ります。

「大人になってようやくですか?」と思ってしまいます。これって、子どもの頃にしっかり学ぶべきことですよ、と思います。それに、費用対効果を考えたら、義務教育期間の子どもたちに「人とのつながり方」を教育して、つながる力を育てた方がリーズナブルなことが明らかなのです。

だって、つながる力を子どもの頃に身につけるのと、大人になってから身につけるのとでは、その効果が明らかに違うからです。なぜなら、大人になった時の個性や性格はもう変えられません。頭が柔軟な子どもだからこそ、変わるのです。

やっぱり、つながる教育

もちろん、大人の頃につながる力を身につけようとすると、表面的なところは変わるかもしれません。見た目の人とのつながりは、あたかも上手になったかのように見えるかもしれません。でも、その人の芯からは、なかなか変わらないものです。ふとした瞬間にボロが出るものです。「やっぱり大人のつながる力を育てるのは、なかなか難しいなあ」と感じるものです。

そんな、子どもの頃に学ぶべき価値があるものを、大人になってようやく学ぶのが今の社会なのです。みほさんが子ども頃、あるいはみほさんのお母さんが子どもの頃、「つながる力、大事だぞ!子どものうちに身につけないといけないぞ!」なんて教育がありましたか?きっと、なかったと思います。どんな風に相手とつながると、相手の行動がどんな風に変わるのか。そんなつながる力を育てる教育がありましたか?ないんですよ。

僕も、そんな教育は受けてきませんでした。少なくとも、僕の意識には残っていません。つながる力を育てる教育ではなくて、「漢字をたくさん覚えましょう。算数の計算を早くできるようになりましょう。英単語をドンドン覚えましょう」。そんな教育を受けてきました。

そして、そんな教育を受ける中で「俺、偏差値こんぐらいあるんだぜ」「アイツ、テストでいい点数取れてないみたいだぜ」なんて言う子どもたちを見てきました。人として大切なものを見失って、おかしな価値観をもっている生徒をたくさん見てきました。

人とつながる力よりも、一部の偏った能力を育てる教育を経験しました。そして、そんな教育は、みんな同じであることを求めていました。右を向けと言ったら、みんなと一緒に右を向くことが大切。そうやって、なんだか偏った価値観を量産するような教育を経験してきました。

でも時代の変化とともにインターネットが普及して、次第にみんなと違うところの強みへの関心が高まりました。実は、その人らしさこそ強みなんじゃないか?そんな考えも広まるようになって、今は「みんなと同じように」と言われる教育の中でも、「みんなと違う個性も大切にしろ」という教育現場があります。そんな教育の中で、子どもたちは「どっちなの?」と困っているのだと思います。

その答えは、昨日の放送でもお話ししましたが、「0か1」「ある、か、なし」ではなく、その「中間」なのだと思います。場合によっては、みんなと同じように対応することも大切だし、みんなと違う個性を発揮することも大切。その価値観を理解するには、やはりつながる力を育てる必要があります。

つながる力が育つからこそ、多種多様な価値観に触れられます。自分とは違うものに違和感・抵抗感を覚えながらも、好奇心をもって自分とは違う多種多様な世界を楽しむことができるようになる。色々な人がいるからこそ、どれかが正解というわけではなく、どれもが正解で、色々な個性が混ざった中でいいバランスを考える。そんな姿勢が生まれます。

人につながる力を重視してこなかったこれまでの教育で育った人は、人とのつながりとその効果をなかなか理解できません。理解できないわけですから、みほさんのお母さんの行動はある意味仕方ないのかもしれません。それは元はと言えば、教育に原因があるのです。

子育ては、大人が変わるチャンス

みほさんのコメントに、「母にとって心配することは愛情表現」という言葉がありました。それは、そうなのだと思います。子どもの生きやすさを大切にしたい、という愛情があったのだと思います。そういった愛情がありながらも、不安がやや強いつながり方だったのかもしれません。

人は大人になると責任を負うことになります。幼少期の頃の教育によって、人とのつながる力が育てられなかったとしても、大人になったら、つながれないことはもうその人の責任になってしまう。そんなカラクリがあります。

子どもに何か困難があったとして、「お母さんのせいだ」「お父さんのせいだ」、そんな声もありますが、それは元はと言えば教育のせいです。確かにつながる力が育つ過程に注目せずに、子育ての場面ばかり見ていたのでは「大人のせい」「親のせい」という理解になります。でも、その親の「つながる力」が育つまでの過程を理解していれば、それは「親のせい」というよりも「教育のせい」ということがわかります。

僕は、子どもの頃の教育はすべての始まりと思っています。教育は、人として生きる力を育てます。教育によって育った人として生きる力は、社会活動の力に変わります。それは、国を発展させ、世界を発展させる力になります。そうやって、人が生きるためのすべての始まりは、幼少期の教育にあるのです。

ですから、何に価値を置いて子どもたちを教育するかは、人類を支えるとても大切なテーマです。学力という一部の能力ばかりに目を向けるのか、それとも、人とつながることが人の人生を支えることまで理解して「つながる力」を育てるのか。それにより、人の生きやすさは大きく変わります。

先ほど、大人になってからでは、人はなかなか変わらないということに触れました。でも、そんな大人が変わるチャンスがあります。それは、どんな時かわかりますか?それは、子育ての時です。自分にとってかけがえのない存在である子どもを育てるという機会を通して、親は変わるチャンスを手にします。

自分の痛みよりも、子どもが辛い様子を見ることの方が、自分の心の痛みを強く感じるものです。なかなか変わることができない大人であっても、子どもが自分以上の存在に感じられるからこそ、親は変われるのです。不思議なものです。そんな不思議な力をもつ子育ては、毎日が変化の連続です。

今日のテーマは「神回という言葉から子どもの成長を考える」にしました。それはvoicyから「私の神回」というテーマを与えてもらったからです。でも、ここで感じてもらいたいことは、僕の放送に神回という、ただ一つだけ特別な大切な回というものは存在しないということです。どの放送も、その瞬間に僕が大切と感じていることをお話ししています。どの放送も、その瞬間だからこそ話せた放送、と思っています。

それと同じことを、子どもたちの成長に感じます。子どもの成長の中では、どこか特別なワンシーンがあるわけではありません。どの子育ての瞬間も、貴重なものが詰まっています。毎日子どもと触れていると気づきにくいものですが、子どもは毎日変わっています。昨日の子どもと、今日の子どもは違います。だからこそ、変わり続ける子どもたちとの一瞬一瞬を大切に感じられるか。それが、とても大切と思っています。

子どもたちの成長にも、僕の放送にも、神回というものはない。それぞれの放送には、その瞬間の僕がいます。同じ僕は、一つとしてありません。ただ、そんな変わり続ける放送の中にも、変わらないものがあります。それが、「つながる力こそ大切」という考えと、「まあ、なんとかなりますよ」というスタンスです。

大人になってつながりを練習するぐらいなら、子どものうちにつながる力を育てる教育を提供したい。そして、子育てには不安があって当たり前という理解のもと、そんな不安に操られないようにしてもらいたい。ピリピリした社会があっても、どこかでゆる〜い気持ちを大切にしてもらいたい。そんな思いをもちながら、僕が子どもの頃に教えてもらいたかったことを発信しています。

だいじょうぶ。まあ、なんとかなりますよ。

記事のポイント!

  • 社会人は、つながる力の価値を感じている
  • つながる力は、やっぱり子どもの頃に育てたい
  • 大人が変わる、子育てというチャンス

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