記事【子どもの行動は大人の仕業】
こんにちはは。絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心に関わる物事を気ままに発信しています。ですから、紅茶でも飲みながら、ゆる〜い気持ちで聴いてもらえればと思っています。
今日は、子どもの行動は大人の仕業ということも含めてお話ししたいと思います。
このブログ記事の内容は、Voicyでも配信しています。
【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる
親子体験から学ぶこと
4月があっという間に過ぎて、もう5月ですね。早いですね。多分この4月に小学1年生や中学1年生を経験した子どもたちも、4月は緊張しながら一生懸命頑張ったのだと思います。5月になると疲れも出るのが当然です。ぜひそっと寄り添ってあげてください。
それでは、いただいたエピソードをご紹介したいと思います。ラジオネームだんご魚さんからです。エピソードを送っていただき、どうもありがとうございます。
「こんばんは。仕事の合間や娘が眠った後など、1人でほっと一息つける時間に拝聴させていただいています。入学して10日ほど経った金曜日、娘がポロポロと涙を流して『月曜日は学校に行きたくない』と。とても辛そうな娘の様子に、私の心も痛みを感じ、ただただ抱きしめながら、『行きたくない時は、無理に行かなくていいよ。ちょうど月曜日は、お母さんもお仕事お休みだから、一緒にのんびりしよう』と伝えました。
そう娘に話しながら、自分が子どもの頃に同じように突然学校に行きたくない気分になった朝があったことや、その時母に無理矢理学校に連れて行かれ、先生から「ワガママを言って困らせるなんて、あなたらしくない」と言われたことを思い出しました。
娘を抱きしめながら、『行きたくない時は、行かなくていいよ』と声をかけ、その後安心したように娘が微笑んだ時、小さな頃の私自身も許され、救われた気がしました。子育てをしながら、小さな頃の自分も救われた気持ちになるなんて、おかしいかもしれませんが、あの頃小さな私が欲しかった言葉や温もりをもらえたような気がしました。結局、月曜娘はにこやかに登校していきました。」
だんご魚さん、大切なエピソードを送ってきていただき、ありがとうございました。とても大切な内容ですね。
「学校に行きたくない」という娘さんを受け入れることが、娘さんを救っただけでなく、親までも救った、ということですね。とても大切な気づきですよね。子どもを救うこと、あるいは誰か他人を救うことが、実は自分を救うことになる。そのことを感じられるかどうかは、その後の人生にとても大きな影響を与えると考えています。
そして、だんご魚さんの子どもの頃の体験は、子どもたちの行動の原因を、子どもではなく環境に求める姿勢が社会にあったかどうかを考え直すエピソードでもあると思います。様々な環境の影響で「学校へ行きたくない」という子どもの行動が作り出された。でもそれを、子どもだけのせいにしてしまう。本当は環境さえ変われば、その子は学校に行けたかもしれない。本当は、子どもの「学校に行きたくない」という問題は、大人が作り出している問題かもしれないのに、大人あるいは社会はそれに気づかない。そういう時代を感じます。
子どもを救うことで、親が救われる
ではまずは、子どもを救うことで、親が救われる、ということを考えていきたいと思います。実は、人は他者を助けることで、自分の過去を乗り越えていく、ということをします。そして、その他者を支えている過程で、時折自分の体験も振り返り、その時の嫌な感情を思い出し、自分の心を多少犠牲にしながらも、自分の過去の体験をも乗り越え成長する。そういったことがあります。
子育ては、まさにその現象が起きやすい環境です。特に、自分の過去の養育体験で感じた嫌な体験を、目の前にいる子どもを育てるという経験を通して克服してこともあるのです。仮に過去の親子関係で辛い経験をしていても、それを克服できるチャンスが子育てにあるのです。「親からこんなことを言われて嫌だった」、そんな体験をしていても、自分が親になった時に、自分の子どもの頃に親にしてもらいたかったことをやってあげる。すると、その子どもの様子をみて、自分の過去の体験を克服していくのです。
でも、そこには気をつけたいことがあります。それは、自分の過去の辛い養育体験を振り返る過程というのは、自分の心の中に封印された嫌な体験を探しにいく、少しリスキーな体験でもある点です。
自分の辛かった養育体験を思い出しながら、子どもに関わることになるため、気をつけなければ、過去の辛い時に感じた感情が自分の表情や行動に現れてしまうかもしれません。無意識のうちに、子どもに辛くあたってしまうようになることも少なくないのです。
「学校に行かなかった時に、無理矢理学校に行くよう叱られる」ということを経験すると、その体験をした自分も無意識のうちに自分の子どもに同じようなことしてしまう、ということです。自分の親と同じような態度を、自分の子どもにもとってしまうということです。
以前の放送で、人は子どもの頃に体験したことを、親になってから再び自分の子どもにもする、ということに触れました。愛情をたっぷり注がれて育った子どもは、親になり自分の子どもにも愛情をたっぷり注ぐようになります。虐待された子どもは、自分が大人になった時に、同じように自分の子どもにも虐待を犯してしまう。そういうものです。
でも、そのことに注意しながら子どもに接することで、親が過去の体験を乗り越え、新しい自分を手に入れられる、ということも起きます。そこには、過去を乗り越えたいという欲求もあるでしょう。自分の正義を貫きたい、という信念もあるでしょう。自分の過去に操られることなく、子どもたちには新しい時代を生きてもらいたいと思うからこそ、意識的に過去を乗り越えようとするかもしれません。
親は子どもを育てる過程で、自分の過去を乗り越え成長していきます。子どもとの生活を通して、新しい自分を手に入れるということです。そういうことが理解できると、やはりつながりは、人の成長にとってとてもいい作用を及ぼすことがわかります。親子でつながるということは、子どもの心の成長はもちろんですが、親の心の成長をも導くのです。
考えてみてください。子どもの頃というのは、その子ども自身の力でどうにかするということは難しいことがほとんどです。どうしても養育環境の影響を強制的に受けながら生きていかなければなりません。でも、大人になり、社会の仕組みを理解し、人が生きるということを理解するようになると、自分の第二の人生を手に入れることができるようになります。大人になると、その人が過去を乗り越え、自分の人生を楽しむチャンスが巡ってくるということです。
このように、仮にあなたに辛い過去があったとしても、子どもの笑顔を求める過程で、その辛い過去を乗り越えていきます。もちろん、その過程で過去の親から受けた関わりが、あなたの態度としてひょっと現れてしまうかもしれません。例えば、親からの愛に恵まれなかった関わりが、無意識のうちに自分の子育てに現れてしまうことがあるかもしれない。そのことに注意しながら、子どもに愛を注ぐことを繰り返すことで、あなたは過去の辛い体験を乗り越えていくことができるのです。
人生のサイクルって、そんな風に回っています。
大人の問題が、子どもの問題にすり替わってしまう
次に、大人あるいは環境の問題が、子どもの問題にすり替わってしまう、ということを考えていきたいと思います。あなたは、子どもの頃の親子関係で、「こんなことを言われてショックだった」「親からこんな関わりがあって、嫌な思い出として残っている」あるいは「自分は悪くないのに、一方的に叱られた」。そんなエピソードがありますか。
これまでの僕の放送を聴いていただいる方なら、もう理解いただいていると思いますが、子どもの行動の多くが周りの環境によって作り出されています。子ども自身の行動の多くは、周りの関わりによって大きく変わっていきます。そのことを理解しないと、どうなるか。
子どもが何か失敗をしてしまったり、子どもが困ったことをしてしまった時に、その原因を子どもに求めてしまいます。周りの環境により作り出される子どもの失敗を、周りが反省することなく、子どもばかりを責めてしまう。そんなことが起きてしまいます。
「なんでこんなことをしてしまったの!」と叱られている子どもがいる環境があったとすると、「そりゃ、その行動を起こす環境があったからだよ」ということが多いものです。それを理解しない大人の社会で、子どもたちは必死に生きているのです。
しかもこのことには、続きがあります。子ども自身は、周りの環境の影響を受けて自分の行動が作り出されていることを理解しているでしょうか。いいえ、残念ながら理解していません。理解できるはずもありません。だって、まだ発展途上の子どもなのだから。
自分の失敗があって、周りからその責任を追求されてしまったら、「自分が悪かった」と思ってしまいます。本当は周りの環境に原因があったとしても、自分の責任として感じてしまうのです。
どうでしょう。そう考えると、周りの大人には二重の責任があることがわかります。一つは、周りの環境によって子どもの行動が作り出されていることを反省できていない点。もう一つは、何もわからない子どもに、あたかも自分自身の問題として責任を感じさせてしまっている点です。
子どもはわからないのです。周りの環境によって自分の行動が作り出されてしまっていることに、気づくことなんてできないのです。世の中で起きている子どもの問題の多くに、このような事態が起きています。
偏った価値観の中で生きる子ども
例えば、偏差値重視の価値観をもつ家庭での出来事です。テストでいい点数をとったら人として認める、偏差値が高ければ人として認める。そんな価値観をもつ大人が残念ながら本当に存在します。そんな偏った価値観をもつ親のもとで育つ子どもは、同じような価値観をもってしまいます。
そんな価値観のもとで育つと、テストでいい点数が取れなかったら人として認められない、なんてことになります。子どもが点数をとれればいいかもしれませんが、世の中にはどんなに頑張っても理解がスムーズにいかない、物事を覚えられないという子どもいます。もしもそんな子どもが、偏差値ばかり重視する家庭の中で育ったら、どうなると思いますか?
テストの点数が取れない、高い偏差値を取れないために、人として扱われない、親から罵倒されてしまうということが起こります。「もっと頑張って勉強しなさい」「テストでいい点数を取れないなんて最低」、そんな言葉を子どもが浴びてしまう。
すると子どもはどうなると思いますか?「なんてひどい親なんだ」と思うでしょうか?「この親には頼らずに、他の正しい価値観のある社会に頼って生きよう」、そんな風に思うでしょうか。いいえ、思えないのです。そうやって、他の正しい価値観のある社会で生きることを考えられればいいのですが、子どもはそんな風に思うことができないのです。
では、どうなるか。親に認められるように頑張ろうとしてしまいます。どんなに罵倒されても、自分がその家庭に生きていることに価値を見出すために、偏った価値観をもつ親に認められようと頑張ってしまうのです。
それでも、やはり成果を得られないこともあります。すると、今度はテストではなくて、盗みをしてみたり、いたずらをしてみたり、他の方法で親の注目を集めようとしてしまいます。そういった、自分の心と行動の関係を、子どもが理解できるでしょうか。いいえ、理解できません。自分でも理解できずに、親に怒られるようなことを続けてしまいます。
そして、挙げ句の果てに「こんな子どもは育てられない」なんて言ってしまう大人がいる。もとはと言えば、偏った価値観をもつ親に原因があるのに、子どもの問題として扱い、子どもばかりが責められてしまう。親あるいは大人の問題が、子どもの問題にすり替わってしまう。そんな事態がこの世の中で実際に起きています。
大人が、自分たちの行動が子どもの行動をあやつっている、ということを理解しないと、子どもの問題は子どもの問題と処理されてしまうのです。でも、子どもの問題は、大人の問題であることが多い。問題の出発点は、やはり大人の側にあることが多いのです。
小児科医という立場から、今の子どもたちの多くの問題が、実は大人の社会により作り出されている、ということを感じることが少なくありません。その大人の社会を作ったのは、やはりこれまでの教育です。すると、これまでの教育が、今の子どもたちの問題へとつながっていきます。学力ばかり追いかけて、人の心とつながる力を育てられなかったこれまでの教育の影響は、巡り巡って、今の子どもたちへと返ってきているのです。
今の教育の影響は、今の子どもたちだけではなく、未来の子どもたちにも現れる。そういった理解で半世紀先のことを考えて、今の子どもたちの教育を考えなければならないのです。
そんな風に色々思うところがあります。だいじょうぶ。まあ、なんとかなりますよ。
記事のポイント!
- 子どもに関わることで、親自身も過去の体験を克服する
- 子どもの行動のきっかけは、大人の世界にあるもの
- 今の教育が将来の子どもにつながる
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