記事【安心感のうえにある子どもの成長】
こんにちは。絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心に関わる物事を気ままに発信しています。ですから、紅茶でも飲みながら、ゆる〜い気持ちで聴いてもらえればと思っています。
今日は、安心感のうえにある子どもの成長を考えてみたいと思います。
このブログ記事の内容は、Voicyでも配信しています。
【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる
休める安心感
まずはコメントをご紹介します。ラジオネームひのきさん。いつもコメント、ありがとうございます。「私は社会人になって暫くして、2ヵ月に1回くらいは有給とるなど、時々は休んだり所用に使ったり出来ています。学校に通う子どもたちは、今は週5日通いますが、大人のようにストレスもじょうずに発散できずに、まれに休みたいと思ってもズル休みのような後ろめたい気持ちになったり、子どもは大変だよなあと思ったりします。安心できる環境を整えてあげたいです。」というコメントでした。
そうですよね。大人は、自分のペースを大切にしながら休むことができるようになりますよね。自分のペースをしっかり守って休むことで、仕事もこなすことができるようになる。仕事をうまくこなせる人を見ると、やっぱり自分のペースをしっかり認識できていて自分の休み方を知っている。そう思います。
もちろんそれには、年々衰える体力も関係してきます。社会人として働き始めた頃は、夜が遅くても、翌日にはピンピンしていたと思います。僕も研修医の頃は、夜の当直をこなしても、翌日以降も元気でした。でも、歳をとってくると、夜更かしや当直が翌日あるいは翌々日の働きに影響するなんてことを経験します。そういう経験も通して、しっかり休もうと考えるようになるのですね。
そう考えると、若い頃、特に子どもの頃って、疲れを知らない、怖いもの知らず、なんて言えるかもしれません。それこそ、子どもの頃に自分の健康、特に心の健康まで考えている子がいたら、逆にちょっと心配してしまいます。子どもよりも、周りが気にかけてあげるくらいがちょうどいい、と思ってしまいます。
そんな自分のことを知らない子どもだからこそ、周りが配慮してあげることが大切、そんなことを昨日お話ししました。「学校休んでもいいよ」「ちょっと疲れたんじゃない?」のように、周りの大人が子どもに休憩を用意してあげることの大切さをお話ししました。
では、もう一つコメントをご紹介します。ラジオネームかぜなみさん。コメント、どうもありがとうございます。「息子が、新学期が始まってから初めて、『疲れた、休みたい』と訴え、学校を休ませました。家で穏やかに過ごし、エネルギーチャージできたようで、今日は元気に登校していきました。特性のある息子なので、学校の先生から『できるところまででいいよ』と言ってもらえると、『気持ちが楽になった。安心する』と話しています。保証してもらえると、意外と安心して頑張れたりもするようで、大切なことだなあと思いました。教えてくださりありがとうございました」。というコメントでした。
どうもありがとうございます。よかったですね。お子さんのエネルギーチャージできて、気持ちを切り替えられて、本当によかったと思います。お子さんにとっては、SOSにしっかり応えてくれるという経験になったと思います。ちょっとしんどかったら、SOSを出していい。そういう体験はとても大切です。
そういった周りの大人の配慮は、子どもたちの安心感につながります。それは決して、「怠け心」を育てるという視点ではなく、「安心感」を与えるという視点です。子どもに希望を託しながら、子どもを信じれば、物事の捉え方も必ず変わります。自分たちの希望を託した子どもたちが、将来好奇心をもって人生を生き抜こうとする心をもつには、やっぱり心の状態に合わせた意図的な休憩が必要。それはある意味、戦略と言えるかもしれません。
そういう理解があれば、「休む」ということを「怠け心」という視点ではなく、意図的に「安心感」を提供するという視点で捉えられるはずです。
海外での経験
例えば、僕は医師になってから、有給をとるという習慣がなく生活してきました。それは、そもそも先輩の医師から「有給は大切だぞ、利用しろよ」なんて言ってもらったことはありません。逆に、「みんな働いているのだから、頑張って働くことがいいこと」のような見方をする人も少なくありませんでした。
でも、色々な現場をみて、心が疲れてしまう医療者たちのケアにもあたるようになって、「しっかり休む」ことの大切さを実感しています。休むことは怠けではなく、効率的に働くための社会人としての義務のように感じています。やはり、「怠け心」ではなく「安心感」を戦略的に生むことこそ、人が生きるうえで欠かせないのです。
以前にもちょっとお話をしたことがありますが、僕は医学生の時に、他の文化、他の世界を知りたくて、1年間医学部を休学して、海外に行かせてもらいました。あの時はカナダ、アメリカ、オーストラリアなどに行って、医学生として病院での研修を経験したほかに、時折バックパッカーもしたりして、安い宿泊施設などに泊まったりもしていました。
そういう行動の背景には、自分が生きる社会の価値観や教育に対する強い疑問と、「自分とは違う、外の世界を知りたい!」というとても強い好奇心が関係していたと思います。色々な知識がたくさんあることに対して、偏った価値観の中で「神童」と言われる人も、人とつながれない人であることが多いことを感じる。僕からすると、「神童」ではなく、ただの「つながれない人」だったりする。僕の素晴らしいという価値観と、社会の素晴らしいという価値観のズレを感じていたのです。
そして、医学生として生きる中で、自分の思考が、いい意味でも悪い意味でも、暮らしている社会の影響を受けてしまう、操作されてしまう側面があることの怖さを感じるようになります。だから、限られた情報の中で暮らすのではなく、メディアを通して情報を得るというのでもなくて、自分の目で色々な世界を確かめたいと思ったのです。
そんな気持ちを抱きながら、海外で異なる文化で育つ人たちと交流していきました。そこでは、同じ年頃でも政治をとことん真剣に考える人や、自由な価値観をもちながら自分の生きがいを追求する人、そんな色々な人と出会いました。見習いたいと思う相手もいれば、もちろん、そうではない相手もいます。自分の考えに固執してしまって、周りとの協調性があまりにも欠如している人もいました。
でも、美化された世界ではなく、そういった生の世界を知っていくことが、とても面白かったのです。海外だから素晴らしい、というのは違う。やっぱり、それぞれの人につながってみないと、本当のところはわからない。良さもわからなければ、良くない点もわからない。そう感じました。
しかも、異文化を知ることで、自分の文化の素晴らしさにも気づきます。安全といった視点で見ると、日本ほど安全な国はない。子どもが安全に生活できる日本って素晴らしい。海外の料理を味わうと、日本の料理はなんて美味しいんだと感じる。日本のおもてなしの心なんて、最高じゃないかと理解する。そんな風に、自分にはなかった世界を知ることで、自分の経験していたものの良さを再認識することにもつながりました。
つながる安心感のもとで成長する
そうやって海外で色々な人と会う中で、僕はこんな経験をします。色々な国からの留学生にたくさん出会いましたが、中には海外には来たものの、希望を見失っている、やりたいことがわからない、ただ時間を持て余しているだけ、という人もいました。どうして海外に来たのかと聞くと、「自分を変えたかったから」と言うのですね。自分を変えたいけれど、塞ぎ込んでしまっている。しかも、そんな人が一人じゃなく、何人もいました。
その時の僕自身は、好奇心全開で、世の中のことを知りたくてたまらない、毎日が新しいことの連続でワクワクしていた。そんな状態だったので、海外に来て塞ぎ込んでいる人をみて、「せっかく外の世界に来たのになんで?」と思ってしまいました。
前に突き進もうとする僕の気持ちとは違う、沈んでいる他人の心にも触れて、なんだか可哀想な気持ちもあり、地域のコミュニティにつながるお手伝いをしたことを思い出します。そういう人が1人じゃないのです。様々な場所に行く度に、何かを学ぼうという意欲を見失っている人がいました。そういう経験を通して、若い自分が海外で何かを学ぶということには、大きなリスクもあるものだと意識するようになりました。そうやって、自分自身を見失わないように気をつけようと思ったものです。
その後、僕が医学部も卒業して、小児科医として様々な子どもたちを支援する中で、ある時ふとその時のことを思い出したのですね。そして、「そういうことか」と思うようになったのです。海外で出会った人の中には、僕とは違い、なんだか塞ぎ込んでしまっている人もいた。そこに欠けていたものは、やっぱり「つながり」だったのだと気づくようになりました。
せっかく海外に来て新しい経験を積める機会なのに、その経験を生かせずに苦しんでしまう人がいた。その人たちには、誰かとのつながりを感じられなかった。親とのつながりも希薄なように感じがしたし、その地域のコミュニティともうまくつながっていなかった。
きっとやはり、親がその子をしっかりサポートしてつながって、その子が誰かとつながる環境さえ整えられていたら、あの時に出会った人たちは希望を抱きながら、海外での生活を楽しんでいたのかもしれない。そう思うようになりました。当たり前のことと思うかもしれませんが、とても大切なことです。人が何かに挑戦しようとする時には、やはり「つながり」が欠かせないということです。
「つながり」があるからこそ、安心感が担保される。安心感があるから、新しい物事にチャレンジできる。そうやって安心感の中にこそ、子どもの成長を実現できると思っています。「ほら、海外にいってやってみなさい。あとは自分でね。」「ほら、学校にいってやってみなさい。あとは自分でね」ではないのですね。
学校に行った後も、つながりをつくれるようにサポートしてあげる。人とつながる中で、ちょっと疲れることもあるだろうから、頑張りすぎないように提案してあげる。ホッとできる生活をつくってあげよう。そうやって、つながりを意識しながら、子どもの安心感をわざと生み出していく。そういった、子どもたちの「つながり」を意識したうえでの教育が、とても大切と思います。
そんな風に色々思うところがあります。だいじょうぶ。まあ、なんとかなりますよ。
記事のポイント!
- つながりながら安心感を提供する
- つながってあげる支援
- つながりをつくってあげる支援
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