子どもの「生きる」を考える
子どもの「生きる」を考える
小児科医・作家
一般社団法人Yukuri-te
代表理事 
湯浅正太
みんなとおなじくできないよ

小児科医が感じるデジタル化が進まない教育現場への違和感

2022/03/21
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記事【小児科医が感じるデジタル化が進まない教育現場への違和感】

絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心を育てるうえで思うことを、気ままに発信しています。ですから、紅茶でも飲みながら、ゆる〜い気持ちで聴いてもらえればと思っています。

今回は、小児科医が感じるデジタル化が進まない教育現場への違和感、についてお話ししたいと思います。

このブログ記事の内容は、Voicyでも配信しています。

【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる

携帯電話を通して

僕は、患者さんである子どもたちの支援のために、学校の先生方と会議をおこなうことがしばしばあります。そのために学校現場に伺うことも、珍しくありません。そんな時に、学校現場と社会とで、デジタル化のギャップを感じることがあります。

例えば、連絡手段です。今は、会社でも、病院でも、職員用の携帯電話が支給されていることが珍しくありません。僕も病院でPHSを携帯しながら生活していますが、仕事をしている中でそのPHSを使わない日はありません。逆にないと困ってしまいます。

ある時、学校の先生とこんな話をしたことがありました。その学校には、ある病気をもつ生徒が通っていました。その生徒に何かあった時の対応を話し合っていたのです。

もしも教室から離れた場所で、その生徒に症状が出ていることに先生が気づいた場合、どうやって助けを呼ぶのかを確認しました。すると、校舎内に走って行って助けを呼びに行くか、固定電話のある教室に行って保健室と連絡をとるということでした。

確かに一昔前であれば、そうかもしれません。でも、これだけ携帯電話が普及している時代に、先生があえて走って助けを呼びに行くのは、少し時代遅れと感じてしまったのです。先生が学校支給の携帯電話をもっていれば、現場から保健室へ連絡できるはずです。

あるいは、不審者対策という点でも、学校の中で連絡をとりやすい環境が大切です。携帯電話があることで、生徒や教師の安全を確保できるシチュエーションは少なくないと思います。走って対応するというのでは、子どもに何かあった時にタイムリーに救うということは難しい。そう感じたのです。

ノートパソコンを通して

そして例えば、ノートパソコンです。不登校の子どもたちが増加していると言われるようになってから、もうずいぶん経ちました。ノートパソコンが支給されていれば、不登校になっていても、自宅で授業を受けられる。不登校対策にもノートパソコンの利用が望まれる中、なかなか実現していませんでした。でもコロナの流行の影響もあってか、ようやく学校でのノートパソコン利用が普及しはじめたのです。やはり、やればできるのではないか。そう思いました。

実は、教育現場にいる先生方の中には、デジタルの環境を整えたいと思っている方はいらっしゃいます。僕が学校現場へ伺ってお話しする中で、「なかなか現場は変わらないんですよね・・」とこぼす先生は少なくありません。

デジタル化は、学校現場で働く先生方の負担を軽減することにもつながります。学校の先生の負担が軽減されて、先生方の心の余裕を生み出すことは、生徒へよい影響が生まれます。しんどそうな顔で働いている先生よりも、笑顔で働く先生を、子どもたちも見たいのです。

それに、教育環境が充実しなければ、社会適応能力の習得が、家庭の経済力に依存してしまいます。各家庭の経済力には、差があります。経済的に余裕のある家庭の子どもだけ、家庭の中で将来の社会生活に合わせたデジタル化に慣れていくということでは困るのです。

ですから、もっと子どもたちの公的な教育にお金をかけて、学校の先生の働きやすさや子どもたちの生きやすさを叶えてもらいたい。そう思います。

板書を通して

学校でのデジタル化を考えると、まだまだ工夫したいことはあります。例えば、板書という行動です。あなたは、黒板に書いてあることを書くこと、つまり板書は得意でしたか?板書しながら、ノートに書いたことを理解する。そういったことができていましたか?

僕は、板書が苦手でした。黒板に書いてあることを、ノートに書き写すことがゆっくりだったし、板書したからといって、その内容を覚えられるわけではありませんでした。高校生の頃の数学の授業などは、事前に教科書や参考書を読んでおいて、授業は復習という形で聴いているだけでした。

実は世の中には、生活に支障があるほど、見たものをノートに書き写すことがとても苦手な子どもたちがいます。書いていてもその内容が頭に入るわけではなく、ただただ文字という線と向き合っているという感覚の子どもたちです。

あなたは、ハリウッドを代表する俳優のトム・クルーズを知っていますか?彼は、知的に問題はないものの読み書きが困難な、ディスレクシアと診断されていました。ディスレクシアという障害をもっていると、本を読んでも、その内容が頭で理解されない。そのため、お母さんやアシスタントが台本を読んで、それを聴いてセリフを覚えていたそうです。

実は、程度の差こそあれ、板書に悩む子どもたちは少なくありません。そういった子どもは、黒板の内容をノートに書き写すスピードが他の子どもに比べて遅い。板書のスピードが遅くて、板書している途中で、黒板の内容が消されてしまう。だから、授業はひたすら黒板の文字を写すことに必死という状況です。

僕たちが何気なくおこなっている板書には、いくつもの行程が関わっているのです。黒板の文字を視ること、視たものを文字と認識すること、文字を一時的に記憶すること、記憶した文字を書くこと、そういった複数の行程を組み合わせて実行しているのです。

あなたは子どもの頃、この板書を当たり前のようにおこなってきたと思います。授業の記録を残すための手段として、一生懸命黒板の内容をノートに書き写していたと思います。

ではあなたは大人になって、どうやって記録を残していますか?板書のように、メモをとるだけでしょうか?メモを取ろうとして、携帯で写真をとって済ませたことはありませんか?メモを取ろうとして、携帯で写真をとって、それをアプリで文字に変換して記録を残していませんか?

そうです、記録の残し方は、時代とともに変わっているのです。昔は皆、メモをとっていました。でも、今は違うのです。これからの時代には、板書をする能力自体よりも、様々な方法で素早くメモを記録する能力の方が求められます。あるいは、書かれている内容に関連する事柄を検索する能力の方が重宝されます。

手書きとデジタルの両立

すべての子どもが、板書を何の不自由もなくこなせるのであれば良いのですが、人の脳はそんな風にはつくられていません。能力は違っていて当たり前なのです。自分が感じている板書の感覚と、他の人の板書の感覚は違うかもしれない。そう思ってください。

そうでないと、書き写すことが苦手な子どものことを、一方的に見下して評価してしまうことになります。それは、ハリウッドスターのトム・クルーズが読み書きできないことを、「怠けている」「努力が足りない」「集中していない」なんて言葉で表現してしまうようなものです。

書き写すことが苦手な子どものことを理解できなければ、子どもの頃のトム・クルーズを「努力が足りない。そんなことでは、立派な社会人になれないぞ」、そんな風に注意してしまっているかもしれません。でもトム・クルーズは、その障害を理解されたからこそ、立派に社会人として活躍しています。

子どもたちには、様々な能力があるものです。それを信じて、しっかり寄り添えば、トム・クルーズのように成功するかもしれません。

板書が苦手であれば、あまり板書にこだわらずに、他の手段で記録する方法を模索する学習環境があるべきと思います。だって、社会に出たら、そういう世界が待っているのですから。板書できないと暮らしていけない社会ではないのです。だからこそ、トム・クルーズも立派に生活しています。

一方で、できないことをそのままにしてしまっては、せっかくの学習の機会を取り上げてしまう事になるという指摘もあるかもしれません。もちろん社会で苦労しないように、学習の機会を提供したい。でも何もかもが完璧になるわけがありません。これはおそらく、様々な手段をバランスよく利用できるかという問題と思います。

書き写す機会を与えるということであれば、板書でなくても提供できます。筆記の能力をつけたければ、板書ではなくとも、作文でもいいでしょう。それに、文字を書く楽しみを学ぶということであれば、さらにその子に合ったペースで文字を書けた方が、自己肯定感を高めながら楽しめます。

英語の学習を考えてみてください。これまでの日本では、実践的な英会話を採り入れない英語の授業が長い間おこなわれてきました。その結果、日本の社会は英語が得意になったでしょうか?いいえ、なりませんでした。高校まで英語をみっちり勉強していたけれど、英会話ができない人たちが量産されてきました。その時間を返して欲しいと思っている大人たちは、多いのではないでしょうか。

板書も似たところがあります。実際に社会に出た時のことを考えて、さらに実用的な記録方法に慣れることが大切です。板書が当たり前だった時代は、ひと昔前です。これからの時代には、手書きとデジタルの両方の手段を利用したやりとりがメインになる。そういった社会事情に即した教育に変えていく必要があります。

板書で文字を書くという文化を大切にすることと、文明の進化に合わせること。どちらも大切ということです。あるか、なしか、という議論ではなくて、色々な方法を柔軟に採り入れる方法に慣れること。それが、とても大切なのです。

文章を書くにあたり、原稿用紙にペンで文字を書くことよりも、パソコンで文章をうっていることの方が一般的になりました。手で文字を速記できるよりも、パソコンで速記できる方が生活に役に立ちます。でも、時には手書きで手紙を書きたくなる時もあります。

パソコンをうつことも、手書きも、両方大切。この両方の手段を行き来できるように、せめて、板書にこだわる教育から、脱却してもらいたい。そう思います。

そんな風に、子どもがおかれる世界には、色々思うところがあります。

だいじょうぶ。まあ、なんとかなりますよ。

記事のポイント!

  • 実社会の状況に応じた教育を
  • 家庭の経済力に左右されない教育を提供したい
  • デジタルも使える教育環境の実現を

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