小児科医・作家
一般社団法人Yukuri-te代表理事
湯浅正太
子どもの「生きる」を考える
#ことば #不安 #人見知り #分離不安 #子育て #小児科医 #湯浅正太

記事【ことばと不安の解消】

絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心を育てるうえで役立つ情報を発信しています。

ホームページの方に、こんなご質問をいただきました。「いつもvoicyの放送を聴いています。1歳の子どもを持つママです。人見知りが強くて、不安が強い子なのかなと思ってしまいます。初めての子どもなので、普通の子どもがどんな風に育つのかがわからないので、人見知りがどんな風になるのが普通なのか、教えてください。」

どうもありがとうございます。一人目のお子さんの育児では、わからないことも多いですよね。何が普通で、何が普通じゃないのかが、はっきりしません。同じような気持ちを抱いたことがある親御さんは多いです。自分だけじゃないと思って、安心してください。

子どもの人見知りがどんな風に経過するかということです。それを、ことばと不安の解消も含めてお話ししたいと思います。

このブログ記事の内容は、Voicyでも配信しています。

【この記事の執筆者(湯浅正太)の自己紹介】小児科医(小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医)&作家。病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹(以下、きょうだい)を支援するための絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者。自身もきょうだいとして育ち、小児科医として働くかたわら、子どもの心を育てる一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)を設立し活動している。詳しくは、法人ホームページをご覧ください。絵本「みんなとおなじくできないよ」を Amazonで見てみる

人見知りが生まれる

皆さんはよく話す方ですか?それとも、あまり話さない方ですか?社会人として働いていると、色々な人に巡り合います。自分の気持ちをよく口にする人。自分の気持ちをじっと閉じ込めて、あまり思ったことを口にしない人。ことばをどう利用するかによって、人の不安の解消されやすさは少し違うものです。

ことばを使って気持ちを表現できることには、不安を解消する効果がある。そんなことを皆さんも経験していると思います。何かの発表を控えて緊張している時に、不安な気持ちを誰かに伝えることによって、ホッとした経験がある人も少なくないでしょう。実は、その経験はすでに赤ちゃんの頃から始まっています。

子どもは、生後半年過ぎてくると人見知りをするようになります。人見知りをする時期は、生後8か月と言われることもあったのですが、実際に色々なお子さんを見ていると、その時期はまちまちです。ですから、ここでは人見知りが、キリのいい生後半年からとします。

その人見知りは、子どもと、その子どもの面倒をみてくれている親との間に強い絆ができたことの証です。子ども自身が母乳を欲しければ、泣いて親を求める。おしっこをして不快な感じがするから、泣いてそのことを訴える。そして、親が子どもの訴えに応える。

そういうやりとりを通して、親という存在は自分のことを大切にしてくれる、という安心感が育ちます。だからこそ、子どもと親との間に強い絆が生まれるのです。

もちろん子どもが作るこの絆の対象は、必ずしも親とは限りません。例えば、親ではなく、他の人の元で育つ子どもです。そういった子どもは、その環境で安心感を持って接することができる人との間で絆をつくります。

このように、自分を育ててくれる特定の養育者との間で、子どもが安心できる強い絆をつくる。そうすることで、その養育者とそのほかの人との区別ができるようになります。そういった区別ができるからこそ、不安が生まれ、人見知りを生じるのです。安心できる慣れた存在と、そうではない存在の区別が生まれることによって、人見知りが生じるのです。

ことばの獲得と不安のピーク

その不安は、親と離れるという場面でも現れます。それが、分離不安というものです。自分が安心できる親がいなくなると泣いてしまう子ども。皆さんも、そんな子どもを見かけることがあると思います。そういった分離不安も、親という安心した存在を感じられるからこそ、生まれるものです。

このように、安心できる親との間で強い絆ができるからこそ、その親以外の人を見ると不安を感じる、あるいはその親がいなくなると不安を感じるようになります。こういった不安は、子どもが1歳から2歳のうちがピークになることが知られています。

親と離れることで生じる不安には、1歳から2歳の時にピークがある。ということは、この1歳から2歳以降に子どもの不安を軽減できる何かが生まれるということです。それは何でしょうか。それが、ことばを獲得するということです。

1歳から2歳を過ぎてくると、子どもは意味のあることばをいくつも獲得するようになります。意味のあることばを獲得できるということは、人へ自分の気持ちを伝え、人とつながる手段を獲得できるようになるということです。そこには、それまでの親との間での阿吽の呼吸でおこなっていたコミュニケーションとは違った、言葉でのコミュニケーションが生まれます。

困ったことがあれば「やだ」。何かを欲しければ「ちょうだい」。そんなことばを使えるようになることで、あらゆる人に自分の意思を伝えることができるようになります。そうすると次第に、小学校入学前までに人見知りの様子は減っていきます。そして、親と離れる際の分離不安も少しずつ解消されていきます。

ことばを獲得することによって、不安が軽減できていくということです。それほど、ことばには不安を和らげる効果があるのです。

ことばの獲得がゆっくりな子どもへの対応

すると、見えてくる世界があります。それは、ことばを使って自分の意思を誰かに伝えられない子どもの世界です。世の中には、言われたことを理解したり、ことばを獲得するのがゆっくりな知的障がいのある子どもがいます。あるいは、言われたことを理解できるけれど、自分の気持ちをことばで表現できない子どももいます。

そういった子どもたちは、ことばを使って自分の気持ちを表現できない。すると、ことばが使えないからこそ、その子どもたちの不安は高いままです。先ほど、ことばを獲得する前の1歳〜2歳頃に不安のピークがあるとご説明しましたが、ことばの獲得がゆっくりだと、その不安の状態が続いているということです。

通常であれば、まだ意味のあることばを獲得していない1歳頃までの子どもでは、人見知りや分離不安が強い。知的障がいや、自分の気持ちをことばで表現することが苦手な子どもは、そういった不安が高い状態が続いているのです。

だから、ことばを獲得していない子どもは、周りを警戒してじっとしてしまう。不安が高いから、泣いて助けを求める。叩いて感情を伝える。そういった不安が高い状態をよく経験します。そして、そんな子どもたちに大切なのは、安心感です。

その安心感を与えるための関わり。それは、通常1歳〜2歳という不安のピークがある前の関わりと同じです。親からその子どもへ声かけをしてあげる。あるいは、気持ちを言語化するという行為です。こうしてもらいたいのかなという、子どもの気持ちをあえて言葉に出して言ってあげる。「これが欲しいのね」「これがイヤなのね」。そういった、子どもの気持ちを親が表現してあげる行為が大活躍します。

不安と人生

このように、子どもの人見知りも分離不安も、ことばの獲得を経て、少しずつ変わっていきます。そして、もしもことばの獲得がゆっくりなことがあれば、周りがあえて気持ちを言葉で表現してあげる。そんな姿勢が欠かせません。

そういった不安との攻防戦は、その後の人生に大きく影響します。子どもの頃の経験によって、大人の頃の人生が決まる。人の人生はひとつながりです。「ひとつながり」とは、「一つのつながり」であり、「人とのつながり」です。子どもの心を理解すると、人の人生すべてがこうやってつながっているのか、と面白いようにわかってきます。

今回はここまでです。

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記事のポイント!

  • 人見知りも分離不安も、ことばの獲得で変わっていく
  • 1歳〜2歳という不安のピーク
  • 不安への対処は、人の人生に影響を及ぼす

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